今年を終える前に書いておきたかったブラインドサッカーの現在・過去・不透明な未来

 ブラインドサッカー日本代表チームは新体制を整えてリスタートし、11月と12月に合宿練習を行ったわけだが、私はつい先日まで、某所から依頼されたアジア選手権の仕事をしていた。日本戦6試合のレポート記事と、この4年間の「総力戦」を振り返るエッセイ。掲載誌は年明けに世に出る予定なので(市販される媒体ではないけれど)機会があれば多くの関係者に読んでいただきたい。

 ともあれ、私にとってのアジア選手権は、その仕事でようやく幕を閉じた。そこで今回は一年の締め括りとして、アジア選手権後に考えたり人に言ったりSNSで書いたりしたことなどをまとめておこうと思った次第である。世界選手権2014の1年ほど前から始めた「毎ブラ」のエピローグのようなものだと思ってもらえばよいかもしれない。かなり長くなるし、人によっては「またその話か」と思うだろうが、まあ、辛抱しておくれ。



 アジア選手権終了後のブラインドサッカー界でまず興味深かったのは、その報道のされ方だ。代表例は、日経新聞(2015/9/30)に掲載されたピッチの外で「勝利」したブラインドサッカーという記事だろう。記者は「ピッチでの敗北とは別に、ここではピッチ外での戦果に目を向け」、障害者スポーツでは珍しい有料興行を賞賛した。さらに(収支は赤字に終わり、代表チームも敗北したにもかかわらず)勝利以外の価値を提供したこと、それを集客とスポンサー獲得につなげたことをもって〈今回のブラインドサッカー日本代表は、「勝利」に値する姿を見せたのではないか〉と記事を締めくくっている。

 私はこの記事に強い違和感を覚えた。この「ピッチ外の勝利」が昨年の世界選手権に対する評価なら、わからなくもない。だが今年のアジア選手権は、日本のブラインドサッカー界全体が「ピッチ内の勝利=リオ・パラリンピック出場権獲得」を唯一・最大の目的として「総力戦」を仕掛けた大会だ。代表チームが勝つ確率を高めるために、すべての力を結集する。ピッチの外には何の勝負も存在しない。少なくとも私はそれが「総力戦」の意味だと認識していたし、そうしなければパラには行けないと(4年前にロンドン行きを逃したときから)考えていたので、このような評価には納得しかねるのである。リオ行きに失敗した以上、そこにあるのは敗北だけだ。ちなみに有料興行は代表が勝つ確率を下げた可能性さえあるが、それについては年明けに出るコラムで書いたので、そちらに譲ることにしよう。

 この記事にかぎらず、ふだんスポーツやサッカーを専門にしているメディアやライターは、ブラインドサッカーに関する報道において、ほぼ必ずと言ってよいほどJBFA(日本ブラインドサッカー協会)の「ビジョン」に言及し、それを肯定的に評価する。「ブラインドサッカーを通じて視覚障がい者と健常者が当たり前に混ざり合う社会を実現する」というのが、そのビジョンだ。この社会運動的な側面を取り上げることで勝ち負け以外の意義が強調され、「ピッチ内での敗北」の痛手が中和されるのが、ブラインドサッカー報道のひとつのパターンになっている(ちなみに私は誰よりもたくさんブラインドサッカーに関する文章を書いているが、このビジョンに言及したことが、たぶん一度もない。その理由は後ほど書く)。

 極端だったのは、アジア選手権閉幕のおよそ2週間後に発売された『サッカーマガジンZONE』11月号のブラインドサッカー特集だ。私も執筆を依頼され、魚住ジャパンの4年間を俯瞰する4ページの記事を担当した。アジア選手権のレポート記事は他のライターが書くのだろうと思っていたが、出来上がってみるとそれは無し。16ページ(2ページのトビラを含む)のうち現場で取材した記事は私の4ページだけで、「ビジョン」を中心とする協会の事業に関する記事が4ページ、協会の広報戦略についての記事が2ページ、パートナー起業のアクサ生命に関する記事が2ページ、ブラインドサッカーを応援するJリーガーの記事が2ページであった。パラリンピック予選という大勝負の直後にサッカー専門誌がこのような構成の特集を組んだことは、私にとってかなり意外だった。メディアはなぜ、こんなにJBFAのビジョンや事業が好きなのだろう?

 いや、その一方で、現場取材のみに絞ったメディアもあった。NHK EテレのハートネットTV「Road to Rio 見果てぬゴールへ ——ブラインドサッカー日本代表」はアジア選手権を戦う代表チームを追ったドキュメンタリーだった。サッカー専門誌が協会を大きく取り上げたのに対して、福祉情報番組の制作者がいかにも「福祉っぽい」協会のビジョンや事業にまったく触れなかったのは、実に逆説的で面白い現象だと思う。ふだん障害者問題に関わっていないメディアや書き手ほど、いざ障害者スポーツを取材するとなると、いかにもそれらしい面に光を当てて「いつものスポーツ報道と違うもの」を作りたくなるのかもしれない。



 もちろん、協会が日頃から自らのビジョンや事業について熱心に広報していることも、それがメディアでクローズアップされやすい理由のひとつだろう。JBFAの松崎英吾事務局長はブラサカを見るまなざし。批判の起きにくい障がい者スポーツ界と題したブログで「負けても批判されないことへの違和感」を表明し、その原因をメディアや世論などの外部に求めているけれど、私はそれだけではないと思っている。「混ざり合う社会の実現」というビジョンを強く押し出し、スポ育やOFF TIMEなどの事業を推進するJBFAは、多くのメディア関係者にとって「競技団体」ではなく「福祉団体」もしくは「社会運動団体」のように見えるのではあるまいか。たしか協会自身も、自分たちは単なる競技団体ではないと主張していたと思う。

 そういう団体が「混ざり合う社会の実現」なる未来像を日常的に口にしていれば、それが彼らの「目的」であり、ブラインドサッカーという競技はそのための「手段」だと思われても不思議ではない。そのように認識したメディアは、代表チームが負けたからといってそれを批判する気にはならないと思う。勝とうが負けようが、「目的」には大した影響がない。その場合、大事なのは「ピッチ外の勝利」である。

 だから日経新聞のような記事も書かれるし、ZONEのような特集も組まれるのだろう。「負けても批判されない」のはほかの障害者スポーツも同じだろうが、ブラインドサッカーの場合は「負けても褒められる」のがいちばんの特徴だと私は思う。そうなる一因は、協会が日頃からふりまいていると言えるだろう。

 では、私がいままで協会のビジョンについて書いてこなかったのはなぜか。無論、障害者と健常者が「混ざり合う」こと自体に反対しているわけではない。反対するも何も、ブラインドサッカーに関わった人間のほとんどが、この競技を通じて現に「混ざり合う」ことを実感しているだろうと思う。私自身も例外ではない。否応なく自然にそうなるのである。

 ただしそれは、ブラインドサッカーが結果的にもたらす副産物のようなものだと私は思う。より正確に言うなら、「たくさんある副産物のうちのひとつ」だ。障害者スポーツが社会や人々に与えるインパクトには、いろいろなものがあるだろう。見て何を感じるかは人それぞれだから、副産物は人の数だけあると言ってもいい。

 ところが「混ざり合う社会の実現」なるビジョンを強調しすぎると、それがブラインドサッカーに関わる人間の唯一の「目的」のように思われかねない。ほかの目的や副産物は脇に置かれ、これから初めてブラインドサッカーを見ようとする人々に「混ざり合うために関わるべし」という強いバイアスを与えてしまう。そのビジョンに共感・共鳴することが、このサッカーに関わる条件のような印象を植えつけてしまうわけだ。そこに「福祉的なにおい」を感じて、関わるのを躊躇う人もいるかもしれない。あんがい、サッカーファンにはそういう人が大勢いるのではないかと想像してもいる。考えすぎだと言われるかもしれないが、私は心配性なので、そういう事態を避けるために、この話はほとんどしないのである。



 それに、JBFAは最初からこのビジョンを掲げていたわけではない。このビジョンが登場したのは、5年ほど前だっただろうか。「日本視覚障害者サッカー協会」が「日本ブラインドサッカー協会」に改称して以降のことだ。メディア関係者の多くは現在のJBFAしか知らないのでそれを絶対視するのかもしれないが、日本のブラインドサッカー史はそれ以前のほうが長い。そして、初期の「日本視覚障害者サッカー協会」は現在の「日本ブラインドサッカー協会」とはかなり違うものだった。とくに、このサッカーを日本に輸入した人々の求めた「副産物」は、現在の「ビジョン」とは方向性が大きく異なる。

 まず強調しておきたいのは、これを日本に持ち込んで紹介したのは健常者ではなく視覚障害者だったことだ。健常者が「こういうのがあるからやってごらん」と与えたわけではない。詳しい経緯は拙著『闇の中の翼たち』を読んでほしいが、昨年惜しくも亡くなった岩井和彦さんをはじめとする「視覚障害者文化を育てる会」の人々が中心となって、このサッカーを日本で始めた。

 ここでは「視覚障害者文化」という言葉も強調しておきたい。見えないことを否定的にとらえるのではなく、聞く、触るといった感覚を重視することで晴眼者文化とは違う豊かさが得られるのではないか、という発想だろう。こうした考え方には当事者のあいだでも賛否両論あるだろうとは思うけれど、ブラインドサッカーをこの国に導入した視覚障害者たちは、このスポーツをそのような文化として育てたいと考えていた(私も個人的には、見えない人々が自らどのようなサッカーを作り出すのかという点に強い興味を持っている)。

 そのとき彼らの念頭にあったのは、以下のような問題意識だ。統合教育が広まるにつれて、盲学校に通う児童や生徒が減り、視覚障害者のコミュニティが失われようとしている。このままでは、視覚障害者が生活していく上で必要なスキルや情報を共有したり、お互いに切磋琢磨していくことができない。統合教育で晴眼者と「混ざり合った」視覚障害児は「お客さん」のようになってしまい、自立心が育ちにくい面もある。しかし若者に人気のあるサッカーがあれば、それを中心にした視覚障害者コミュニティが生まれるのではないか——。つまり、健常者と障害者が「混ざり合う」のではなく、むしろセパレートされる場が求められていたわけだ。

 先日、ツイッター上でブラインドサッカーのファンと思しき方が「将来的には盲学校というくくりがなくなって、誰もが混ざり合う学校になっていくことを望みたい」と語っているのを目にした。おそらくJBFAのビジョンに共鳴した上での発言だろう。「混ざり合うことこそが素晴らしい」と聞かされれば、当然このような考え方になる。だが上の話を読めば、これがそう単純な問題ではないとわかるだろう。「盲学校というくくり」があることに感謝し、それを残したいと考えている視覚障害者はたくさんいるはずだ。聞いた話では、スウェーデンでは弊害の多い統合教育が反省され、日本の盲学校からノウハウを学ぶ動きもあるという。

 いずれもメリットとデメリットのあるデリケートな議論だし、私もこれについてはそんなに勉強しているわけではないので、これ以上は踏み込むつもりはない。ただ、「みんな混ざり合えれば素敵だよね」という素朴な理想論だけでは片付かないのが視覚障害者の現実であることは知っておくべきだろう。それも、私が「ビジョン」の話をスルーしてきた理由のひとつである。

 ともあれ、同じ視覚障害者でも考え方はさまざまだ。JBFAが好んで使う言葉を借りるなら、彼らの中にも「ダイバーシティ(多様性)」は当然ある。JBFAのビジョンに共感・共鳴する選手もいれば、そうではない選手だってきっといるだろう。「そんなの関係ねぇ」と思っている選手がこのサッカーをプレーしてはいけないというものでもない。だって、現在のビジョンが掲げられる前から日本ではブラインドサッカーがプレーされていたんだから。だって、ほかの国の協会はそんなビジョンを掲げていないんだから。そうやって物事を相対化する姿勢を持つ(つまり何かを絶対視しない)ことが、現在のブラインドサッカーを理解する上で大切だと私は思うのだ。

 とりわけメディアにはそれが必要だろう。あるサッカー専門誌の記事中に「ブラインドサッカーが推進するダイバーシティ啓蒙活動」という文言を見かけたこともあるが、これは正確な表現ではない。「混ざり合う社会の実現」というビジョンに基づいてそれらの活動を推進しているのは、「ブラインドサッカー」でも「日本のブラインドサッカー」でもなく、「日本ブラインドサッカー協会」である。主語は大切に。メディアの多くは、「ブラインドサッカー」と「日本ブラインドサッカー協会」を区別できていないから、JBFAのビジョンに必要以上に(?)配慮した記事が次々と書かれるのだろうと私は見ている。このサッカーを支援・応援する人々も、「ブラインドサッカーが好きな人」と「日本ブラインドサッカー協会が好きな人」に大別できたりするかもしれない。



 さて、当初は新しい「視覚障害者文化」として期待された日本のブラインドサッカーは、徐々に「視覚障害者色」を薄める方向に変化してきたように感じられる。まず5年前に「日本視覚障害者サッカー協会」から「日本ブラインドサッカー協会」に改称したことが最初の画期だった。そこから「混ざり合う社会の実現」が語られ、「晴眼者と視覚障害者が一緒に楽しめるスポーツ」であることが強調された結果、いまでは「ブラインドサッカーは視覚障害者も参加できるスポーツです」とトンチンカンなことを書くメディア関係者まで出てきた。違うでしょ。ブラインドサッカーの登場によって、「サッカーの世界に視覚障害者も参加できるようになった」のはたしかだが、ブラインドサッカーはもともと視覚障害者のものだ。そこに晴眼者「も」参加できると認識するのが正しい。そこをそんなふうに錯誤する人が出てくるほど、JBFAの情報発信は強い影響力を持っているのである。

 それはともかく、今年のアジア選手権で負けた後に、次の大きな画期が訪れた。代表チーム部の大改革である。代表スタッフには、サッカー界から多くの人材が招集された。ブラインドサッカーは「視覚障害者スポーツ」と「サッカー」という二つのジャンルにまたがる競技だが、今回の改革によって、少なくとも日本代表チームは「サッカー」のほうに大きくシフトしたと言えるだろう。

「ブラインドサッカーの指導者だけでは勝てない」——協会はそういう判断によって今回の人事刷新を行ったそうだ。だが、これは新部長兼新監督の高田さんが記者会見で語ったのみで、協会からの公式な説明はない。頭の上に「?」を浮かべ、やや茫然としながら代表チームのリスタートを見守った人間は私だけではないはずだ。

 リオ行きは果たせなかったとはいえ、この4年間で代表チームは大きく成長した。2013年と2014年には「アジア2位」の成績を収めている。世界選手権では初めてグループリーグを突破して6位。もしPK戦ですべて勝っていれば、2013年のアジア選手権は優勝、世界選手権はベスト4以上の成績になっていた。それらの実績を踏まえた上で、「ブラインドサッカーの指導者だけでは勝てない」とする根拠は何なのか。そこをもう少し踏み込んで説明する責任が協会にはあると私は思う。すでに仕事を始めている新スタッフのみなさんには申し訳ないけれど、そこが支援者やファンのあいだでボンヤリとしたままでは、この4年間の「総力戦」を後押ししたようなパワーは生まれない。

 3度目のパラ挑戦失敗。そして、過去に例を見ないレベルの代表チーム改革。ここで再び日本のブラインドサッカー界が一体感を持って進んでいくためには、協会の責任ある立場の方がきちんとした声明を発表することが必要だった。アジア選手権での敗北をどのように分析し、協会や代表チームに何が足りなかったと判断したのか。変わるのは代表チームの現場だけでよいのか。そこが何も語られないまま日本のブラインドサッカーが「なんとなく」新しい時代に突入してしまったことが、私には残念でならない。

 それに、これはまったく個人的な心情レベルの話ではあるけれども、代表チームを去った旧スタッフのみなさんの労をねぎらう言葉が協会筋から公にはまったく聞こえてこないのも寂しいかぎりだ。退任にあたって彼らのコメントが公式に発表されたこともない。なかには10年以上も代表チームに尽くしてきたスタッフもいるのに、いつの間にか去っている。歴史的とも言える大きな節目であるにもかかわらず、切り替え方があまりにも粗雑ではあるまいか。早い話、アジア選手権は(少なくとも表向きには)何も総括されていない。いったい、誰が何を反省してこうなっているんだ? 私にはそれがさっぱりわからない。



 もちろん、べつに私がそれをわかる必要もないと言えばないのである。そもそも私はどういう立場でこんな話をしているのか、自分でもよくわからない。なぜか一度も言われたことがないけれど、内心で「こいつは何様のつもりだよ」と思っている人もいるだろう。その感想は、わりと正しい。私自身、以前から「おれはブラインドサッカーの何なんだよ」と疑問を抱きながら、ブログを書いたり、人の間違いを指摘したり、何だかんだと口を出してきた。

 でも、頼まれもしないのにブラインドサッカーのことをあれこれ書くのは、今回のブログで最後にしようと思っている。今後は、頼まれた仕事はできる範囲でする。聞かれたことには可能なかぎり答える。そのための準備はし続ける。基本的にはそんな感じにするつもり。なんとなく、それが人として正しいような気がしてきた。頼まれも聞かれもしなければそれまでのことですね。まあ、試合を見れば感想ぐらいは書くかもしれないけど。

 今回のブログで気を悪くした関係者は間違いなくいると思うが、いまのブラインドサッカー界に足りないのは「遠慮のない議論」だという思いが私にはある。みんな、モヤモヤを抱え込まずに、もっと表で発言し、言いたいことを言い合ったほうがいいんじゃないかな。あえてそれを世間に見せることで、メディアもいろいろなことを相対化して見るようになるだろう。ともかく、もう、「自力でパラリンピック初出場をつかみ取る」という野望は永遠に果たせないんだ。この絶望の淵から再起するには、問題点を洗いざらい表に出すしかないじゃないか。そう思いません?
by deepriver1964 | 2015-12-27 22:56