毎ブラ142:取材を始めたきっかけとやめなかった理由

 もうじき電子版がリリースされる『闇の中の翼たち』が世に出て以来、「どうしてブラインドサッカーの取材を始めたんですか?」と何度聞かれただろうか。興味を持たれるのは当然で、私も取材者としていろんな人に「それを始めたきっかけ」を質問するわけだが、ブラサカ取材に関してはとくにドラマチックなことは何もないので、いつも申し訳ない気持ちになる。長いつきあいの編集者がブラインドサッカーの新聞記事を見つけて、「サッカーが好きなんだったら、こんなのあるから取材して書いてみたら?」と提案してくれた。ただそれだけのことだ。

 2006年の5月だったか6月だったか記憶が定かではないが、それは「ブラインドサッカー日本代表がアルゼンチンで開催される世界選手権に出場する予定だが、資金不足で辞退するかもしれない」というような内容の記事だった。それまで、ブラインドサッカーのことなんか1ミリも知らなかった。記事を見る前に編集者から話を聞いたときは、一瞬ゴールボールのことと勘違いしたぐらいだ。ブラインドサッカーを知らないのにゴールボールを知っているのも奇妙な話だが、あるスポーツ関係者に取材したときに、「目の見えない人がゴールに向かって音の出るボールを投げ合うパラリンピック種目がある」という話をちらっと小耳にはさんでいたのである。

 しかしゴールボールではないようだ。とはいえ、サッカーと言われても、どんなアレなのかよくわからない。たぶんいろいろ検索したんだと思うが、どの時点で「どんなアレ」なのかイメージできたのか記憶がないなぁ。当時はとにかく情報が少なかった。ただ、ひとつだけ確実にわかったのは、「まだ誰もこのサッカーについて本を書いていない」ということである。先行者がいたら、おそらく企画自体が成立しなかっただろう。でも、それは未開拓のフロンティアだった。よっしゃ、じゃあオイラが最初の本を書いてやろうじゃないの。そう思い定めて、まずは大阪の長居球技場で8月12日に行われた日本代表の壮行試合を日帰りで見に行ったのだった。それがつまらなければ考え直したはずだが、そうじゃなかったから、3年後にはその壮行試合の観戦記から始まる本が出来上がり、もうじきその電子版も世に出るわけである。

 当初は、取材は本が出るまでの話だと思っていた。本を出すために取材してるんだから当たり前だ。じゃあ、どこまで取材して本にしようと思っていたかといえば、2008年の北京パラリンピックである。あのときは「世界選手権に出られるんだからパラリンピックにも出られるだろう」としか思わず、その晴れ舞台で戦う選手たちの姿を描いて大団円——という皮算用でしたゴメンナサイ甘かったです。

 だから、もし北京パラに出場していたら、ブラインドサッカーとのおつきあいは本当にそこで終わっていたかもしれない。選手たちは悲願を達成し、私は本を出して、一丁上がり。さらに取材を続けるモチベーションが持てたかどうか、かなり疑問だ。でも、あの悔しすぎるアジア選手権を見て、あろうことか「負けたところで終わる本」を出してしまったら、そりゃあ、勝つまで離れられないじゃないか。と、そんな次第で、ブラサカ取材も8年目を迎えているのでありました。いやはや。
by deepriver1964 | 2014-04-04 23:58