平山、桐島、そして柳田

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 先週ひさしぶりに飲んだ友人の娘さんの配偶者が週刊文春で書評を書いていると聞いて目を通し、ぜひ読みたいと思っていたらセガレが貸してくれたので、太宰治賞受賞作の西村亨『自分以外全員他人』(筑摩書房)をゆうべ3時間ぐらいで一気に読んだ。あらすじとかは面倒なので書かない。けっして流麗な文章ではないけれど、いったん読み手をつかまえたら絶対に逃がさない強烈な筆力にヤラレた。やむにやまれず書き上げた入魂の一作という印象を受けたが、西村亨は次作を書けるだろうか。書いてほしい。書き続けてほしい。

 これを読むまで、映画『PERFECT DAYS』の主人公・平山と、逃亡の果てに死んだ桐島聡(と思われる男)のことを考えていた。ふたりには何か通底するものを感じていて、それは更年期的不安に苛まれている私にとって生きていく上での「希望」だったりするのだが、その意味はうまく説明できないし、できたとしてもあまり広くは共感してもらえそうにない。ともあれ、この小説の主人公である柳田譲44歳も、たぶん同じ何かを持っている。たまたま続けて平山と桐島と柳田が出現した還暦3か月前の2024年1月を、きっと私は忘れないだろう。

 


# by deepriver1964 | 2024-01-31 13:17

 ひたすらテストステロン不足に悩まされるサエない一年だった。若い人たちには、男の更年期をナメるなよ、とお伝えしたい。しかもこの年代は、上(親)と下(子)にはさまれる立場として、それまでなかったファミリー案件に右往左往させられるようになるので、何かと大変な人が多いのではなかろうか。少なくとも俺は大変だ。


 とはいえ、振り返ってみると、収入のことさえ脇に置けば(置きたくないが)仕事はそれなりに充実していたのかもしれない。ただでさえ単位時間あたりの原稿生産量が減っている上に、「どうまとめろっていうんですかコレ!」と頭を掻きむしりたくなるような激ムズのミッションが続いたこともあり、遅々として作業の進まぬ自分に苛立つ日々ではあったが、仕上げた原稿はどれも上々の評価だった。スピードはかなり落ちたが、腕力はまだあるようだ。


 でも──と否定的になるのがまさにテストステロン不足ゆえなのかもしれないが、「なんだかなぁ」と思うのである。来年は60歳だ。還暦という習俗に対しては「So what ?」と言いたいタチではあるけれど、同年代の多くは定年を迎えたりするわけで、自分の来し方行く末をボンヤリと考えてしまう節目であることはたしかだろう。というか、たぶん今年の私はずっとそれを考えていたのだと思う。

 30年以上こうして生きてきたのだから、これからもこうして生きていくしかないような気もしなくもない。腕力をアテにして仕事を依頼してくれる編集者がいるのは有り難いことだ。じっさい、馴染みの編集者に「なぜ私に仕事を頼んでくれるのか」という素朴な問いを投げかけてみたところ、「岡田サンなら何とかしてくれるから」とのことだった。ライター人生33年、何とかする男。それも、まあ、悪くはないだろう。

 しかし「何とかする」と言ったって、そう大したことをしているわけではない。別の編集者に同じような質問をしたら、「原稿を直す手間がかからない」「内容の辻褄が合っている」みたいなことだった。そう言ってもらえるのは大変うれしい。だが、てにをはレベルで手のかかるライターも少なくはないらしいので、べつに胸を張れるような話でもない。「ちゃんとした日本語で辻褄の合った文章を書く」って、大学生のレポートや卒論のレベルでも求められることじゃん。大丈夫なのかライター業界。


 まあ、今年やったいくつかの激ムズ案件に関しては、そう簡単に辻褄を合わせられるものではなかった。だから相当な腕力を振るったわけだが、その腕力だって次第に衰えるだろう。「何とかする」までにさらに多くの時間を要するようになるのは間違いない。これまで何とかなったものが、もう何ともならなくなるかもしれない。スピードも腕力も衰えるなら、何かほかの武器でも戦わなければいけないのではないか。そんなふうにも思うのである。

 それが何なのかはわからないけれど、仮に自分がその武器を持っているとしても、それを使うのはたぶん別の土俵だ。どんな土俵かもわからないが、きっとそこは「何とかすれば勝ち」というルールではないのだろうと思う。


BGM : オリバー・ネルソン「ブルースの真実」The Blues and The Abstract Truth

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# by deepriver1964 | 2023-12-30 18:02

年末の仕事始め

 しばらくダラダラと過ごしていたが、昨日ようやく書籍仕事の打ち合わせができたので、背筋をパキッと伸ばして、これから取り組む原稿の構成を考え始めた。先々の予定も詰まっているので、ボヤボヤしてはいられない。気分的には完全に「仕事始め」である。

 とはいえ、それが不満というわけでは全然ない。正月というイベントはいろいろファミリー案件(実家にいつ行くとか行かないとか)が面倒くさいので、むしろこのまま知らん顔して通常営業していたいぐらいだ。このトシになると月日の流れが早く感じられ、四年に一度のイベントでさえ「またワールドカップやんのかよ」などと思うぐらいだから、年末と言われてもとくに重みが感じられず、週末や月末と大差ない。家賃の支払いさえ忘れなければ、それでよいのではないか(いま思い出してヨカッタ)。

 要するに、私はもう正月に飽きたのだと思う。そんなに大事な節目かね、正月って。子供や若者はともかく、50代以降の人間はじつは誰もが飽きてるんじゃないの? それなのに、みんなが「自分は正月なんて本当はどうでもいいと思ってるけど他人はみんな正月を大事にしたいと思ってるだろうから、自分もちゃんと正月らしく振る舞おう」と考えるからビッグイベントになっているだけなのではないかと私は疑っている。いわゆる多元的無知だ。初日の出とか、なんでそんなに見たいんだよ。「初」って、人類の一部が恣意的にそう決めてるだけだろ。

 …などと悪態を吐いても、正月は有無を言わさずやって来る。ああ面倒くさい。「王様は裸だ!」と指摘した少年のように、「年末はただの月末だ!」と言って回りたい59歳の冬である。まあ、「月末」だって恣意的な線引きだけど。


 近頃はレコードが高いので、「20bit K2とかでリマスターされたモダンジャズのベタな名盤の紙ジャケCDを安価で手に入れてああやっぱええなぁなどとウットリする」というのがささやかな趣味だ。MJQの『DJANGO』とか、ビックリするぐらい良い音に聞こえる。リマスター、有り難し。比較対象が40年前ぐらいに貸しレコードからダビングしたカセットテープの音質だったりするのでアレですけども。パーシー・ヒースのベースを初めてカッコイイと思った。

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# by deepriver1964 | 2023-12-29 15:02

「英気」が心配

 仕事が指示待ち状態なのでユルユルと過ごしている今日この頃だ。しかし指示内容が決まった瞬間にアクセル全開で走らなければならぬので、あまりボンヤリしてもいけない。こういうときに求められるのは「英気を養う」というやつであろう。

 英気。この語だけ取り出すと、ちょっと新鮮な感じだ。日本国語大辞典によれば、(1)人並みすぐれた才気や気性。(2)活動しようとする気勢。元気──とのことだが、用例は古典ばかり。じっさい、「英気を養う」以外で日常的に見聞きすることはまずない。「最近あいつ、英気モリモリだよな」とか「更年期だから英気が出ないのよ」とか言う人はたぶんいない。

 また、こうしてあらためて眺めてみると、いずれおかしな俗用が生じかねない字面でもある。いま多くの日本人が「英」から直観的に思い浮かべるのは「イギリス」や「英語」だろう。「自分、これから英気を養います!」と言って、ロンドンや英会話学校で自録りした写真をSNSに上げる者が出てきても驚くには値しない。

 なにしろ近頃は、「私情により授業を欠席します」などと教員に連絡する学生が目立つと聞く。私情の「情」が感情の「情」ではなく事情の「情」だと理解されているわけだ。性癖の「性」がほぼソッチの意味だけになりつつあるのは(嘆かわしいとは思うものの)まあ、わからなくもない。だが「私情」が「私的な事情」として使われていることには、かなり意表をつかれた。「性癖」と同様、これも本来の意味で使うことが躊躇われる言葉になるのかもしれない。

 ともあれ、そんなわけだから、「英気」に(3)英国的な雰囲気(4)英語を身につける意欲──といった意味が生じても、驚きはしない。しかしそうなると、すでに心ある人々が「性質」「性格」「個性」「理性」「相対性理論」など「性」のつく言葉の未来を不安視しているのと同様、「英断」や「俊英」なども心配になる。人をバカにするつもりで「アメリカ大統領の決断なのに、こいつ〈英断〉とか言ってて草」などとツッコミを入れてしまい、「草はおまえだ」と総攻撃を受けて逆炎上する者が現れる前に、何か手を打っておかなくて大丈夫だろうか。まあ、とっくにネット上ではそんなことが起きているのかもしれないけれど。

 以上、あまりボンヤリしてはいけないので、テキトーな文章を書いて英気を養ってみた。どうでもいいことであっても、手を動かして書いてさえいれば、何かをした気になる性分である。性分。


BGM : マーク=アンソニー・タネジ作品集(サイモン・ラトル&CBSO)

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# by deepriver1964 | 2023-12-18 16:56

 なぜかふと気が向いて、前に読んだジョゼフ・ヘンリック『文化がヒトを進化させた』(今西康子訳・白揚社)に手が伸びてパラパラめくっていたら、きのう書いたこととちょっと関係ありそうなところに鉛筆で線が引いてあった。

〈どんな社会規範のもとに生きている人間かということは、目で見てわかるものではない。そこで、自然選択によって利用されたのが、社会規範はたいてい方言、入れ墨のような識別可能な特徴とともに伝播するという事実だった〉

〈生後五〜六か月の乳児は、母親と同じアクセントの人のほうばかり見つめる。生後一〇か月になると、母親と同じアクセントの人のほうからおもちゃを受け取るようになる。また、幼稚園児は自分と同じ言語や方言を話す子を「友だち」に選ぶ傾向がある〉

〈(文化進化によって生まれた)この世界では、ある人の方言を聞けば、その人の選好、動機、信念などさまざまな側面を、ある程度自信をもって予測できたはずである。なぜなら、方言は、社会規範や信念や世界観と同じ経路を通って伝達されるからである〉

 これはおもにエスニック・グループに関する話ではあるけれど、まあ、広く人間集団に共通する「心のクセ」みたいなものであろう。言葉遣いに違和感があると、自分とは何か違う規範にしたがって生きているのではないかという警戒感が生まれてしまうわけだ。

 長い人類史の中では役に立つ「クセ」だったからこそ現在も淘汰されずに残っているのだろうが、一方でこれは偏見にもつながる。ちょっとした言葉遣いの違いを見咎めて警戒するのはよろしくない。まあまあ、おおむね意味が通じるならよいではないか、と思ったりもするのだった。それが「方言」であることは自覚してもらったほうがよろしいとは思いますけども。

 しかし、じゃあ自分が「添付ファイルを○○様にもご展開いただけますようお願い申し上げます」などと真似するかといえば、もちろんそんなことはしない。お国言葉は相手への親しみを表現するためにおどけて真似することはあるけれど、ビジネス弁は使用した瞬間にそちらの規範が内面化されてしまいそうな恐怖感(?)がある。

 それを恐れるのも私の中に何か偏見があるからなのかもしれないが、日頃から信頼している相手に「ああ、この人も〈展開〉をこんなふうに使うんだ」などとガッカリされるのはやはり避けたい。というわけで、「使うなとは言わんけど、俺は使わないよ」という当たり前すぎてじつにツマラナイ結論に達したのでした。


 それにしても、この「展開します」の使用法はいつどのように始まったのであろうか。もしかしたら、誰か強い影響力を持つ人物が言い始めて、みんなそれを真似するようになったのかもしれない。『文化がヒトを進化させた』には、こんな記述もあった。

〈ヒトは模倣という手段を利用して社会的関係を築いたり、ステータスの差を示したりするようになった。つまり、相手の動作や口調をまねるのは、「あなたと仲よくしたい。あなたはほんとにすばらしい」という意思表示でもあるのだ〉

 これも、淘汰されずに生き残った「心のクセ」ではある。たとえば食用の野菜から毒を抜く手順など、昔の人たちはその意味や目的や因果関係などを知らないまま、先輩たちのやることをただそのまま模倣することで継承してきた。

〈先祖代々受け継がれてきたやり方を信じてそのまま従おうとしないと、家族が病気になったり早死にしたりする羽目になるのだ。この毒抜き処理に関しては、自分の頭で考えても良いことはない。直感的に判断すると誤った答えを出してしまう〉

 だから、成功者のやることを素直に模倣する心の持ち主(そういう遺伝子)が淘汰されずに生き残ったというわけである。

 だが一方で、そういう心的傾向は「過剰模倣」という現象も生むようだ。何らかの報酬を得るために箱を押したり引いたり叩いたりといった複雑な手順を踏む実験では、最初にモデルがやってみせる手順の中に〈報酬を得るのには明らかに不要な〉〈物理的な因果関係などどうていありえない〉手順も含まれていたが、被験者の多くはすべてそっくりそのまま模倣したらしい。こういう意地悪な心理学実験の話が私は好きだ。

 ビジネス弁としての「展開」も、あんがい「過剰模倣」みたいなところから始まったのかもしれない。いずれにしろ、妙な言葉遣いがそういう形で広まることは一般的にはあり得るだろう。インフルエンサーのみなさんには、気をつけてもらいたいものである。


BGM : マルティヌー ピアノ五重奏曲&四重奏曲(イワン・クランスキー、コチアン四重奏団)

ビジネス弁としての「展開」──その2_a0243426_16090231.jpg

# by deepriver1964 | 2023-12-15 16:16