編集協力した国広ジョージ先生の『教養としての西洋建築』(祥伝社)の紹介記事(東洋経済オンライン×3、プレジデントオンライン×3)が出揃ったので、まとめて貼りつけておきます。

 建築史を通してセカイを眺めるのは、じつに面白い。それを実感できたので、制作のお手伝いをするのがほんとうに楽しく感じられました。また、さまざまな場面で限界を指摘される「近代」という概念について考える上でも、西洋建築からは多くのヒントが得られるでしょう。

 建築家の表現行為でありながら、きわめて高い公共性を持つのが建築です。過去の万博でも、建築や建築家は大きな役割を果たしてきました。この分野をめぐる「教養」が(願わくば政治家や役人たちにも)浸透すれば、この社会も少しはマシなものになるのではないか。わりと本気でそう思っているので、広く読まれることを願っています。










# by deepriver1964 | 2024-05-30 14:55

 今年の誕生日、胸に「KANREKI 60」と書かれたエンゼルス風デザインの真っ赤なTシャツを与えられ、家族に無理やり(?)記念写真を撮られた後、こんなことを口にした。

「ずーっと、将来ボクは何になるんだろう…とボンヤリしているうちに、60年も生きてしまったような気がする」

 するとセガレから、「いい話だなぁ」と、いささか意外な反応が返ってきた。何がどう「いい」のかは定かでないが、溜め息混じりの嘆き節が「まだまだこれからだぜ」的な元気ジジイの前向き発言に聞こえたのかもしれない。もっとも、そこで我が子に「ホントそうだよね」などと同意されたら、父親としてはガックリと肩を落とすしかない場面ではあったわけだが。


 ライターの仕事は、子供にもわかりやすい。私の父は銀行員だったが、毎日朝から晩まで何をしているのか、子供の頃の私にはさっぱりわからなかった(いまでもあんまりよくわかっていない)。だがライターの仕事は、本や雑誌記事などの成果物が目に見える。日々それをつくるために何をしているかといえば、人に会って話を聞くか、資料を読むか、机に向かって原稿を書くかのいずれかだ。小学生も先生の話を聞いたり教科書を読んだり作文を書いたりするから、まあまあ実感を伴って理解できる日常であろう。

 セガレも父親がどんな本をつくっているのかは小さい頃から見ていたし、中高生の頃は雑誌の連載コラムを筆者の目の前で熱心に読んだりもしていた。じつに居たたまれない経験だった。でも、たぶんセガレにとって父親は「堂々たるプロの物書き」であってほしい存在だから、そこで私がそわそわと冷や汗をかきつつ、途中でちょっとでもクスッと笑ってくれたら内心でガッツポーズを取っているなどとは思わなかったかもしれない。


 しかし本人は、60歳になったいまでも、「プロ」になった気がしないのである。お金をもらって原稿を書いているのだし、聞き書きによる書籍構成は約230冊と数字の上ではけっこうな実績も積んでいるから、世間的にはプロなのだろう。でも自ら「プロでございます」と胸を張れるかというと、まったくそんなことはない。

 編集者からどんなテーマの仕事を頼まれても、(スケジュールと条件が合えば)十分に役割を果たせるだろうと思って引き受ける。だから、自信がないわけではない。とはいえ、それは「おれにできると思って頼んでるんだから、きっとできるんでしょうよ」という他人任せの自信だ。「自信」と呼べるのかそれは。

 そんなことだから、いざ原稿を書き始める段になると、「俺にできるのか?」「これは一体どうやってまとめりゃいいんだよ」「とりあえず1行目は何を書けばよいでしょうか…」などと不安になるのだった。なにしろ書籍というやつは、見た目はどれも同じような姿形をしているが、中身はすべて新製品だ。これまで世の中に存在しなかったものをつくり上げなければならない。

 したがって、その書き方を知っている者は、まだどこにもいないのである。これから書かれるべき文章に対しては、誰もが初心者だ。「その本のプロ」はいない。最初から最後まで、1語ごと、1行ごと、1段落ごと、1章ごとに、「で、次はどうすんのよ?」と脳内ひとり企画会議をやりながら文章をつむぐのである。どうすべきか迷っても、いちいち編集者に相談なんかしていられない。自分で自分にゴーサインを出すしかないのだから、不安の連続だ。

 さんざん「これでOK?」「うん、まあいいんじゃね?」と自問自答しながら書き上げた原稿は、自分にとっては悪くないと思えるものになっている。当たり前だ。だが、その良し悪しを最終的に決めるのは私ではない。審査員は私を雇った編集者である。もちろんこちらも脳内会議では編集者の考えを忖度しているつもりだが、事前にそれなりに打ち合わせやすり合わせを行っているとはいえ、他人の頭の中にある「完成予想図」を想像するのはむずかしい。

 だから、書き上げた原稿を編集者に送信した後は、OKの返事が来るまで心配でたまらない。いつ「思ってたんとちゃーう!」というメールが来るかとハラハラしっぱなしだ。3日も返信がないと、原稿のダメだったかもしれない部分がいくつも頭に浮かび、「あそこだけはちゃんと相談してから書けばよかった」「相手はどうダメ出しをしてよいか迷っているにちがいない」などとウジウジし始める。提出したレポートの可否を気にする学生と同じようなものだ。ぜんぜんプロっぽくない。


 じゃあどうであればプロっぽいのかと聞かれるとよくわからないが、やはり学生サイドではなく教員サイドに立てる人のほうが、プロと呼ぶにふさわしいのではないか。実際、キャリアの長いライターは、しばしば人に文章の書き方やら取材のやり方などを教えるようになる。押しも押されもせぬ立派なプロの振るまいだ。

 私もいま「押しも押されぬ」と書かなかったあたりはえらいなぁと自画自賛するわけだが、しかし人に何かを教えられるような気はしない。「文章教室とかやれるんじゃないですか?」と言われたことはあるが、食い気味に「無理無理」と答えた。だって、自分がどうやって書いているのかもわからないんだから、人に教えられるわけがない。6ケタの受講料を頂戴できるようなノウハウなんか、体のどこを叩いても出てきません。

 もっとも、書かれた文章の添削なら、やればできるようだ。このあいだ初めてそういう仕事を請け負ってやってみたら、編集者に「ものすごく読みやすくなりました!」と、ずいぶん喜んでもらえた。これでお金をいただけるならいくらでもやりますけどね、という感じだ。

 だが、添削は個別のケースに対するアドバイスにすぎない。なにしろ文章はどれも新製品だから、書き方はそれぞれ違う。「この文章はこういう書き方のほうがいいっすよ」とは言えても、一般論として「文章はこう書きましょう」と教えることなんて、私にはできそうもない。


 とはいえ、ならば自分は個別の文章の書き方をいちいち新たに発明してんのか?というと、そんなことはないだろう。むしろ、いつも自分が同じような書き方をしているように感じられてウンザリすることのほうが多い。そこには何か共通のパターンみたいなものがあるはずだ(ただの「クセ」かもしれないが)。

 だとすれば、それはどんなものなのだろう。私は一体、どうやって文章を書いているんだ? と、このところずっとそんなモヤモヤを抱えていたので、しばらくこんなタイトルで仕事まわりのことをアレコレ書き連ねてみようと思い立ったのだった。

 あれはライターになって10年ぐらい経った頃だったか、ふと気が向いて「ライターになりたいあなたへ」的な本を眺めてみたら、「ライターになるのに文章力は必要ない」みたいなことが書いてあってビックリしたことがある。そんなことより、誰にも負けない専門分野や得意分野を磨くべし、というわけだ。ふうん、そうだったんだー。

 私自身はこれといって専門分野も得意分野も持たないまま、還暦を迎えるまで「書き屋」稼業を続けてきた。もしかしたら世間でいう「ライター」ではないのかもしれない。それはまあどっちでもいいんだが、自分に何か「専門」があるとしたら、それは「文章を書く」という営みだけだ。これから何かになれるなら、「文章のプロ」になってから死にたいような気もする。それはむずかしいとしても、自分が人生の大半を費やして何やってんのかぐらい、知りたいじゃないっすか。

# by deepriver1964 | 2024-05-26 16:19

平山、桐島、そして柳田

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 先週ひさしぶりに飲んだ友人の娘さんの配偶者が週刊文春で書評を書いていると聞いて目を通し、ぜひ読みたいと思っていたらセガレが貸してくれたので、太宰治賞受賞作の西村亨『自分以外全員他人』(筑摩書房)をゆうべ3時間ぐらいで一気に読んだ。あらすじとかは面倒なので書かない。けっして流麗な文章ではないけれど、いったん読み手をつかまえたら絶対に逃がさない強烈な筆力にヤラレた。やむにやまれず書き上げた入魂の一作という印象を受けたが、西村亨は次作を書けるだろうか。書いてほしい。書き続けてほしい。

 これを読むまで、映画『PERFECT DAYS』の主人公・平山と、逃亡の果てに死んだ桐島聡(と思われる男)のことを考えていた。ふたりには何か通底するものを感じていて、それは更年期的不安に苛まれている私にとって生きていく上での「希望」だったりするのだが、その意味はうまく説明できないし、できたとしてもあまり広くは共感してもらえそうにない。ともあれ、この小説の主人公である柳田譲44歳も、たぶん同じ何かを持っている。たまたま続けて平山と桐島と柳田が出現した還暦3か月前の2024年1月を、きっと私は忘れないだろう。

 


# by deepriver1964 | 2024-01-31 13:17

 ひたすらテストステロン不足に悩まされるサエない一年だった。若い人たちには、男の更年期をナメるなよ、とお伝えしたい。しかもこの年代は、上(親)と下(子)にはさまれる立場として、それまでなかったファミリー案件に右往左往させられるようになるので、何かと大変な人が多いのではなかろうか。少なくとも俺は大変だ。


 とはいえ、振り返ってみると、収入のことさえ脇に置けば(置きたくないが)仕事はそれなりに充実していたのかもしれない。ただでさえ単位時間あたりの原稿生産量が減っている上に、「どうまとめろっていうんですかコレ!」と頭を掻きむしりたくなるような激ムズのミッションが続いたこともあり、遅々として作業の進まぬ自分に苛立つ日々ではあったが、仕上げた原稿はどれも上々の評価だった。スピードはかなり落ちたが、腕力はまだあるようだ。


 でも──と否定的になるのがまさにテストステロン不足ゆえなのかもしれないが、「なんだかなぁ」と思うのである。来年は60歳だ。還暦という習俗に対しては「So what ?」と言いたいタチではあるけれど、同年代の多くは定年を迎えたりするわけで、自分の来し方行く末をボンヤリと考えてしまう節目であることはたしかだろう。というか、たぶん今年の私はずっとそれを考えていたのだと思う。

 30年以上こうして生きてきたのだから、これからもこうして生きていくしかないような気もしなくもない。腕力をアテにして仕事を依頼してくれる編集者がいるのは有り難いことだ。じっさい、馴染みの編集者に「なぜ私に仕事を頼んでくれるのか」という素朴な問いを投げかけてみたところ、「岡田サンなら何とかしてくれるから」とのことだった。ライター人生33年、何とかする男。それも、まあ、悪くはないだろう。

 しかし「何とかする」と言ったって、そう大したことをしているわけではない。別の編集者に同じような質問をしたら、「原稿を直す手間がかからない」「内容の辻褄が合っている」みたいなことだった。そう言ってもらえるのは大変うれしい。だが、てにをはレベルで手のかかるライターも少なくはないらしいので、べつに胸を張れるような話でもない。「ちゃんとした日本語で辻褄の合った文章を書く」って、大学生のレポートや卒論のレベルでも求められることじゃん。大丈夫なのかライター業界。


 まあ、今年やったいくつかの激ムズ案件に関しては、そう簡単に辻褄を合わせられるものではなかった。だから相当な腕力を振るったわけだが、その腕力だって次第に衰えるだろう。「何とかする」までにさらに多くの時間を要するようになるのは間違いない。これまで何とかなったものが、もう何ともならなくなるかもしれない。スピードも腕力も衰えるなら、何かほかの武器でも戦わなければいけないのではないか。そんなふうにも思うのである。

 それが何なのかはわからないけれど、仮に自分がその武器を持っているとしても、それを使うのはたぶん別の土俵だ。どんな土俵かもわからないが、きっとそこは「何とかすれば勝ち」というルールではないのだろうと思う。


BGM : オリバー・ネルソン「ブルースの真実」The Blues and The Abstract Truth

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# by deepriver1964 | 2023-12-30 18:02

年末の仕事始め

 しばらくダラダラと過ごしていたが、昨日ようやく書籍仕事の打ち合わせができたので、背筋をパキッと伸ばして、これから取り組む原稿の構成を考え始めた。先々の予定も詰まっているので、ボヤボヤしてはいられない。気分的には完全に「仕事始め」である。

 とはいえ、それが不満というわけでは全然ない。正月というイベントはいろいろファミリー案件(実家にいつ行くとか行かないとか)が面倒くさいので、むしろこのまま知らん顔して通常営業していたいぐらいだ。このトシになると月日の流れが早く感じられ、四年に一度のイベントでさえ「またワールドカップやんのかよ」などと思うぐらいだから、年末と言われてもとくに重みが感じられず、週末や月末と大差ない。家賃の支払いさえ忘れなければ、それでよいのではないか(いま思い出してヨカッタ)。

 要するに、私はもう正月に飽きたのだと思う。そんなに大事な節目かね、正月って。子供や若者はともかく、50代以降の人間はじつは誰もが飽きてるんじゃないの? それなのに、みんなが「自分は正月なんて本当はどうでもいいと思ってるけど他人はみんな正月を大事にしたいと思ってるだろうから、自分もちゃんと正月らしく振る舞おう」と考えるからビッグイベントになっているだけなのではないかと私は疑っている。いわゆる多元的無知だ。初日の出とか、なんでそんなに見たいんだよ。「初」って、人類の一部が恣意的にそう決めてるだけだろ。

 …などと悪態を吐いても、正月は有無を言わさずやって来る。ああ面倒くさい。「王様は裸だ!」と指摘した少年のように、「年末はただの月末だ!」と言って回りたい59歳の冬である。まあ、「月末」だって恣意的な線引きだけど。


 近頃はレコードが高いので、「20bit K2とかでリマスターされたモダンジャズのベタな名盤の紙ジャケCDを安価で手に入れてああやっぱええなぁなどとウットリする」というのがささやかな趣味だ。MJQの『DJANGO』とか、ビックリするぐらい良い音に聞こえる。リマスター、有り難し。比較対象が40年前ぐらいに貸しレコードからダビングしたカセットテープの音質だったりするのでアレですけども。パーシー・ヒースのベースを初めてカッコイイと思った。

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# by deepriver1964 | 2023-12-29 15:02