毎ブラ2-023:それぞれのタラレバ

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 先日の代表合宿で、魚住監督に会うなり「最近やけに書くものが感傷的ですよね(笑)」と言われたライターのブログがこちらになるわけだが、思えばそれは、アジア選手権の記者発表会から始まっているような気がする。あのとき私は、記者席の最前列で思わず落涙しかかったのだった。

 それは、トモさん(黒田智成選手)がこれまでの悔しさを語ったときだ。アテネパラは、アジア予選さえ開催してもらえなかった。北京パラを目指した2007年の予選では、自分のファウルで韓国に第2PKを与えて負けた。ロンドンを目指した2011年は、大会前に膝を故障してチームに迷惑をかけてしまった——。

 もうね、こうして書いてても込み上げるものがあるぐらいだから、記者席では「でもあのときの韓国戦ではボロボロの足で逆転ゴールを決めてくれたじゃないかトモさん!」とか何とか泣き叫ぶのを懸命に堪えていた次第である。ちなみに写真はその2011年アジア選手権の公式練習風景。よく見てもらうと、トモさんの両膝の痛々しさがわかるんじゃないかな。

 ともあれ、そういう思いを抱えている選手はトモさんだけじゃないだろう。責任感の強い選手ばかりだから、みんなそれぞれ「あのとき自分がこうしていたら」「もっとああしていれば」という悔いがあるんじゃないかと思うと、この8年間の重みをますます感じたりする。

 でも、そんなトモさんの話を聞いた後、私はこうも思った。もしアテネか北京かロンドンのどれかに出場していたら、いまの日本代表チームはここまでレベルアップしただろうか——と。そんなタラレバには意味がないかもしれないけれど、たとえば日本がブラインドサッカーを本格的に始めてからたった2年でアテネパラに出たことを想像すると、やっぱり、それはちょっとマズいんじゃないかと思ったりもするのである。だからといって予選を開催しなかったIBSAを許すわけではないんだけど。

 ともあれ、二度の失敗があったからこそ、現場も事務方も本気で強化に取り組み、現在のすばらしい代表チームがある。それはもう、9年前に私が取材を始めたときのレベルとは雲泥の差だ。その間にうちのセガレは小学3年生から高校3年生になったわけだが、代表チームの進歩はたぶんその年代の子供の成長具合と変わらない。ほとんどが30代のチームがこんなに成長するなんて、それだけで感動的だよまったく。

 考えてみると、もし彼らが北京パラに出場していたら、私はその後の代表チームを見ていなかった可能性もある。『闇の中の翼たち』は、そもそも北京パラ出場を想定した企画だった。パラの晴れ舞台で活躍する選手の姿を描くところであの本が終わっていたら、果たしてその後も取材を続けていたかどうかわからないのである。
by deepriver1964 | 2015-07-23 00:02